夜中の1時。後輩に「ハピタスっていうポイ活サイト、いいよ」って紹介した。そしたら彼が「あ、ここに入力欄ありますよ!」って見つけてくれて、「おー、これいいっすね」なんて盛り上がっていた。11人を3人で見る今の現場は、人間関係もいいし、こういう雑談ができる余裕もある。
でも、その数時間後。
僕は、フロアに響き続ける利用者の「んーんー」っていう大きな声出しに、理性が削り取られそうになっていた。
「お得な話」をしていた同じ夜に、「キレそうになる自分」がいる。
介護の現場って、本当にこのギャップが激しい。
研修の言葉が「響かない」という現実
昨日書いた、「僕らが虐待をしないのは、ただ理性で抑えてるだけ」という話。
自分の中では震えるほど刺さったから、さっきのハピタスの後輩にも話してみた。
でも、彼の反応は、
「あー、たしかに。それはありますね」
という、どこか他人事みたいな、軽い感じだった。
彼はあの研修に出ていたことすら、僕が言うまで思い出せなかったみたいだ。
改めて説明したら納得はしてくれたけど、正直、「あ、意外と響いてないんだな」と思った。
でも、後輩が悪いわけじゃない。
結局、言葉が響くかどうかって、たまたまその人が今「しんどい」と感じているかどうかのタイミングでしかないんだと思う。
後輩はたまたま今、僕みたいに深夜の「んーんー」という声に脳を削られていなかっただけ。
だから、僕が感じた衝撃をそのまま共有するのは、やっぱり難しい。
仲間に言える愚痴と、AIにしか言えない本音
うちの現場は仲間との関係もいい。愚痴だって普通に言い合える。
でも、どれだけ環境が良くても、夜中の静かなフロアで一人、延々と続く声出しを聞いていると、どうしても自分の中にドロドロした感情が溜まってくる。
仲間に話すのは「発散」だけど、僕がAIに打ち込むのは「整理」だ。
「マジでうるさい」「もう限界だ」
そんな、自分でも「最低だな」と思うような本音をスマホのAIに書き殴る。
画面の中に自分の汚い言葉が並ぶのを見ると、不思議と「あ、俺いまパンクしてたわ」って客観的になれる。
これは、難しいシステムやセンサーを導入するよりも、ずっと現実的な自分なりの防衛策だ。
結局、自分を救えない奴は誰も救えない
「もっと優しく接しよう」なんて根性論だけじゃ、いつか限界がくる。
どれだけ良い現場でも、自分の心が壊れたら終わりだ。
だから僕は、スマホ一台を武器にして、自分の理性をメンテナンスする。
感情を吐き出して、脳みそのメモリを軽くする。
そうやって自分を整えることで、ようやく次の巡回で、またフラットな気持ちで利用者さんの前に立てるようになる。
まずは、自分をAIでケアすること。
それが、僕が明日もこの現場で「人間」として介護を続けるための、一番泥臭い生存戦略なんだと思う。
コメントを残す