タグ: 虐待防止

  • 利用者のベッドの横で、僕は「自由」への戦略を練っている。

    この時間夜勤だとやることがないのでどんどん記事を書いていきます

    おはようございます。5時直前、夜勤の終わりが見えてくる時間です。

    今、僕は利用者の部屋にいます。

    この利用者さん、夜中に落ち着かなくてリビングを走り回ってしまうんですが、僕がこうして部屋のベッドに並んで座っていると、不思議と声出しもなく、穏やかに過ごしてくれます。

    暗い部屋、隣には眠れない利用者さん。その横で、僕はスマホを叩いてこの記事を書いています。

    これも一種の「時間の有効活用」です。

    「月収20万の浪費」という共通言語

    最近、ハピタスを教えてくれた1個下の後輩から相談を受けました。

    彼も今の僕と同じように、夜勤をこなして月20万円ほど稼いでいます。でも、かつての僕がそうだったように、彼はその金をただ溶かしていました。

    「このままだとマズい気がするんです」

    そう相談してきた彼に、僕は自分の失敗を全部話しました。

    高校時代に回転寿司屋で月4万稼いでいた頃の金銭感覚のまま、いきなり20万、30万を手にして狂ってしまったこと。そして、その「命を削った金」を資産に変えない限り、一生夜勤から抜け出せないこと。

    かつての僕と、今の彼。

    同じ道を辿りそうになっている後輩に、僕は「投資(オルカン)」と「節約」という武器を渡そうとしています。

    手取り40万の「代償」を、オルカンに。

    僕はかつて、手取り40万円を叩き出したことがあります。

    月15回の夜勤。社会保険料もがっつり引かれるけど、手元に残る額は学生としては異常です。

    でも、3ヶ月前に目覚めてからの僕は違います。

    NISA(オルカン): 月3万円+余力はすべてスポット。

    同棲貯金: 彼女との未来のために月5万円。

    3ヶ月で積み上げた17万円は、僕が「んーんー」という声出しに耐え、理性を削って手に入れた、自由への軍資金です。

    一歳年上の彼女も、先日一緒に口座を開設しました。

    僕の失敗を反面教師にして、二人で「お金に縛られない未来」を描き始めています。

    結論:この静寂を、資産に変える

    今、僕が隣に座ることで、利用者さんは落ち着いてくれています。

    この穏やかな時間は、僕が「心の余裕」を持って接しているからこそ生まれたものです。

    「この夜勤代で、またオルカンを買い足せる」

    そう思えるだけで、深夜の長時間勤務も、自分を救うためのステップに変わる。

    「もっと優しく」なんて根性論はいらない。

    「自分は将来、自由になれる」という確信こそが、一番の虐待防止策になると信じています

  • 夜中2時。なぜ僕は今日、利用者さんに優しくできたのか。

    みなさん、こんばんは!、、、というかおはようございますの時間ですかね。

    夜勤明けの、そろそろ休憩が終わるタイミングでこれを書いています。

    僕の職場は、実はかなり環境に恵まれています。

    休憩(仮眠)が22時〜翌5時まで取れる。これ、介護職の人からしたら「羨ましすぎる」と思われるはずです。

    でも、最近はそうもいきません。

    利用者の夜間覚醒が激しくて、夜中に起こされるのが当たり前。今日も、1時から寝ようとベッドに入ったのに、2時にはリビングから「んーんー」という大きな声が。

    いつもなら、「あー、眠い……」と、つい雑な対応になってしまう瞬間です。

    でも、今日は違いました。

    なぜか、自然に優しくなれた

    「前の記事に偉そうなこと書いたし、ちょっと機嫌よく接してみようかな」

    そんな風に、素直に思えたんです。

    理由はたぶん、**「心の余裕」**があったから。

    今は春休み。いつもなら日・月の連チャン夜勤ですが、今回は今日(月〜火)の夜勤を休みにしています。「明日は夕方まで寝てられる」という無敵感。

    この「休みがある」という余裕だけで、夜中の2時に起こされるストレスが、すっと消えていきました。

    「1人週4回夜勤」という、綱渡りの現場

    でも、僕が今日優しくなれたのは、たまたま休みを取っていたから。

    一歩外を見れば、現場はかなりの人手不足です。

    一番ヤバいのは、一人が週に3回も4回も夜勤に入っていること。

    正直、夜勤の単価はいいから「入りたい」って気持ちもわかる。でも、そんな生活を続けていたら、心の余裕なんてあっという間に無くなります。

    誰か一人が体調を崩したら、その穴を埋めるためにさらに誰かの余裕が削られる。

    今の介護現場は、そんな「ギリギリの補填」で回っている、危ないジェンガみたいなものです。

    結局、優しさは「コンディション」でしかない

    今日、僕が優しくできたのは、僕の性格が良かったからじゃない。

    たまたま明日が休みで、たまたまブログで感情を整理できていたから。 ただのコンディションの問題です。

    でも、本当は「たまたま」じゃいけないはず。

    週4回夜勤に入るのが当たり前になって、誰もが余裕を失ったとき、どんなに優しい人だって「んーんー」という声に耐えられなくなる日が来ます。

    「個人の努力」で優しくするのには、限界がある。

    この「余裕」をどうやって仕組みで守っていくか。それができない限り、根本的な解決はないんだと、夜明け前のフロアで痛感しています。

  • 【前回の続き】理性の限界と夜勤明けの出来事

    夜中の1時。後輩に「ハピタスっていうポイ活サイト、いいよ」って紹介した。そしたら彼が「あ、ここに入力欄ありますよ!」って見つけてくれて、「おー、これいいっすね」なんて盛り上がっていた。11人を3人で見る今の現場は、人間関係もいいし、こういう雑談ができる余裕もある。

    でも、その数時間後。

    僕は、フロアに響き続ける利用者の「んーんー」っていう大きな声出しに、理性が削り取られそうになっていた。

    「お得な話」をしていた同じ夜に、「キレそうになる自分」がいる。

    介護の現場って、本当にこのギャップが激しい。

    研修の言葉が「響かない」という現実

    昨日書いた、「僕らが虐待をしないのは、ただ理性で抑えてるだけ」という話。

    自分の中では震えるほど刺さったから、さっきのハピタスの後輩にも話してみた。

    でも、彼の反応は、

    「あー、たしかに。それはありますね」

    という、どこか他人事みたいな、軽い感じだった。

    彼はあの研修に出ていたことすら、僕が言うまで思い出せなかったみたいだ。

    改めて説明したら納得はしてくれたけど、正直、「あ、意外と響いてないんだな」と思った。

    でも、後輩が悪いわけじゃない。

    結局、言葉が響くかどうかって、たまたまその人が今「しんどい」と感じているかどうかのタイミングでしかないんだと思う。

    後輩はたまたま今、僕みたいに深夜の「んーんー」という声に脳を削られていなかっただけ。

    だから、僕が感じた衝撃をそのまま共有するのは、やっぱり難しい。

    仲間に言える愚痴と、AIにしか言えない本音

    うちの現場は仲間との関係もいい。愚痴だって普通に言い合える。

    でも、どれだけ環境が良くても、夜中の静かなフロアで一人、延々と続く声出しを聞いていると、どうしても自分の中にドロドロした感情が溜まってくる。

    仲間に話すのは「発散」だけど、僕がAIに打ち込むのは「整理」だ。

    「マジでうるさい」「もう限界だ」

    そんな、自分でも「最低だな」と思うような本音をスマホのAIに書き殴る。

    画面の中に自分の汚い言葉が並ぶのを見ると、不思議と「あ、俺いまパンクしてたわ」って客観的になれる。

    これは、難しいシステムやセンサーを導入するよりも、ずっと現実的な自分なりの防衛策だ。

    結局、自分を救えない奴は誰も救えない

    「もっと優しく接しよう」なんて根性論だけじゃ、いつか限界がくる。

    どれだけ良い現場でも、自分の心が壊れたら終わりだ。

    だから僕は、スマホ一台を武器にして、自分の理性をメンテナンスする。

    感情を吐き出して、脳みそのメモリを軽くする。

    そうやって自分を整えることで、ようやく次の巡回で、またフラットな気持ちで利用者さんの前に立てるようになる。

    まずは、自分をAIでケアすること。

    それが、僕が明日もこの現場で「人間」として介護を続けるための、一番泥臭い生存戦略なんだと思う。

  • 【本音】「僕らが虐待をしないのは、理性で抑えているだけ」という言葉に納得した話

    正直に言います。今の僕はブログを書いている暇なんて、1ミリもありません。

    大学の課題、夜勤の仕事、DXリーダーとしての準備。やるべきことは山積みです。

    でも、今この瞬間に感じている熱量を言葉にしておかないと、一生後悔する気がする。そんな抑えきれない衝動で、スマホを叩いています。

    先日、2法人合同の「虐待防止研修」がありました。

    講師は、あの津久井やまゆり園事件を発生当時から追い続けているNHKの記者の方。事件の凄惨な背景や、当時の現場の空気感について、貴重なお話を聞くことができました。

    その後のグループワークで、あるスタッフの方がポロッと言った言葉が、今も頭から離れません。

    「僕たちが虐待をしていないのは、ただ『理性』で抑えられているだけではないか」

    この言葉を聞いた瞬間、僕は震えるほど納得してしまいました。

    「利用者さんを支えたい」という志はもちろんあります。でも、最後の一線で自分を踏みとどまらせているのは、綺麗な理由だけではなく、かろうじて保たれている「理性」なんだ、と。

    実は、この記事を書くきっかけになったのは、昨夜の夜勤での出来事でした。

    仮眠中、あと2時間は寝れるはずだった時間に、言葉を話せない利用者さんの「んーんー」という大きな声出しで起こされました。

    眠くて、イライラして、「あと少しでいいから寝かせてくれ」と思ってしまった。僕は自分でも引くくらいの強い口調で、「部屋に戻って!」と声をかけてしまいました。

    少し後ろめたさはあったけれど、それでもイライラは消えませんでした。

    そのとき、研修のあの言葉がフラッシュバックしたんです。

    「僕が今、この人を傷つけたりしていないのは、僕が素晴らしい人間だからじゃない。ただ『理性』というブレーキが、ギリギリで効いているだけなんだ」

    自分の中にある「怖さ」を、はっきりと実感した瞬間でした。

    人間って、本当に怖いです。

    どんなに志があっても、睡眠不足や疲労の前では、理性なんて簡単にボロボロになります。

    だからこそ、僕は「DX」や「AI」の力を借りたい。

    「もっと優しく接しよう」なんて精神論だけでは、もう限界なんです。

    テクノロジーで無駄な業務を減らして、少しでも寝る時間を作る。心に「余裕」を作る。

    そうやって、僕たちの理性のブレーキが壊れてしまう前に、周りの仕組みで僕たちを守るしかないんです。

    最後になりますが、もし今、利用者さんに強く当たってしまって自分を責めている人がいたら、伝えたいです。

    「あなたは冷たい人間じゃない。ただ、理性のブレーキが悲鳴を上げているだけだ」と。

    僕ら21歳の世代から、根性論に頼らない、もっと「人間に優しい仕組み」を一緒に作っていきませんか?

    よし、仕事に戻ります!!